「正しい食事をしているはずなのに、調子が戻らない」
そんな声を聞くたびに、私は食事の内容ではなく、
その人の表情を見るようにしています。
多くの場合、そこには
安心よりも、緊張がある。
それは、体にとって
あまりいい兆候ではありません。
正しい食事、という言葉はとても強い。
栄養バランスが整っていて
余計なものが入っておらず
理論的に説明ができる。
間違ってはいません。
でもその「正しさ」は
時に人を、食事から遠ざけます。
正しい食事を意識し始めた人ほど
食べるたびに、頭が忙しくなります。
これは大丈夫か
これは控えるべきか
今日は許されるのか
その確認作業は
食べる行為を、評価の場に変えてしまう。
体は、評価されながら食べることが
あまり得意ではありません。
料理の世界で
「正しい味」というものは存在しません。
あるのは
今、この人に合っているかどうか。
同じ料理でも
疲れている日にちょうどいい味と
元気な日にちょうどいい味は違います。
それを無視して
「これが正しい味です」と出す料理は
長く続きません。
正しい食事が不健康に働くのは
正しさが更新されなくなった時です。
昨日の体
先月の体
誰かの体
それらを基準に
今日の体を押し込める。
体は、抵抗しません。
ただ、違和感を溜めていく。
真面目な人ほど
正しい食事を裏切れません。
少ししんどくても
お腹が重くても
気分が乗らなくても
「でも体にいいから」と続ける。
この“我慢”は
一見、努力に見えます。
でも体から見ると
無視に近い。
不健康になる瞬間は
急に訪れるものではありません。
小さな違和感が
何度も見逃され
そのうち感じなくなる。
それを
「慣れた」と勘違いする。
でも実際は
鈍くなっただけです。
正しい食事は
人を守るためにあります。
でもいつの間にか
人が、正しい食事を守る側になる。
この主従が逆転したとき
食事は、回復の手段ではなく
緊張の原因になります。
健康な食事とは
制限が少ない食事ではありません。
回復する余白がある食事です。
食べたあと
体が、少し緩むかどうか。
それが
一番わかりやすい指標です。
料理をしていると
「引く」ことの大切さを学びます。
足さない
盛らない
説明しすぎない
その方が
体は受け取りやすい。
正しい食事も
少し引いた方が、長く続きます。
もし今
正しいはずの食事が
負担になっているなら
それは
あなたが弱いからではありません。
正しさが、今の体に合っていない
それだけです。
正しさを疑う必要はありません。
ただ、少し脇に置けばいい。
食事は
体を良くするための道具であって
自分を律するための規則ではありません。
料理人として
そうであってほしいと、強く思います。
正しい食事が
人を不健康にすることもある。
でも
体に合った食事は
人を、静かに戻します。
