営業後、土鍋を洗いながら考えた「満たされる」の正体

営業が終わったあと、
店の音がひとつずつ消えていきます。

換気扇の回転が落ち、
火の気配がなくなり、
最後に残るのが、土鍋です。

私はいつも、その土鍋を洗いながら考えます。

今日、満たされた人はいたのだろうか、と。


満たされる、という言葉は
少し扱いづらい言葉です。

量が多いことでも
味が濃いことでも
特別なことが起きることでもない。

でも確かに
「今日は満たされた」と感じる日がある。

その正体が、ずっと気になっていました。


土鍋を洗う時間は、
一日の中でいちばん静かな時間です。

もう誰かに提供する必要もなく、
評価もなく、
正解もない。

ただ
今日使った痕跡だけが残っている。

焦げ付き
米の甘い匂い
少し残った湯気

それらを落としながら
ふと、思うことがあります。

満たされるとは
足りた、ではなく
もう足さなくていい、という状態
なのではないかと。


忙しい日は
たくさん出ます。

数も
会話も
動きも

でも、不思議と
満たされない日もある。

逆に
淡々と終わった日ほど
静かに残る余韻がある。

それは
結果の差ではなく
関わり方の差のように思えます。


満たされないとき
人は、何かを足そうとします。

もう一品
もう一杯
もう一言

でも
満たされているとき
人は、引きます。

今日はこれでいい
もう十分だ
あとは静かでいい

土鍋も同じです。

無理にこすらず
時間をかけすぎず
必要な分だけ洗う。

それ以上やると
鍋も、こちらも疲れる。


満たされる感覚は
特別な場所にはありません。

営業中のピークにも
ご褒美の瞬間にも
必ずしもいない。

むしろ
終わったあと
片付けの途中
何も起きていない時間に
ふっと現れます。


それは
「ちゃんとやった」という達成感とは違います。

もっと静かで
説明しづらくて
誰かに伝える必要もない。

体の奥で
「今日は、これでいい」と
灯りが消える感じ。


日常に感覚が降りてくると
生活は、少し遅くなります。

判断が遅れる
返事を保留する
すぐに結論を出さない

でも
その遅さが
満たされる余地をつくる。


満たされない生活は
常に、次を要求します。

次の予定
次の改善
次の正解

満たされている生活は
今を、終わらせるのが上手です。

今日はここまで
今日はこれで十分
続きは、また明日

その区切りが
体を休ませます。


土鍋を洗い終えたあと
私は、必ず一度
何もせずに立ちます。

拭く前でも
片付ける前でもない
ほんの数秒。

その時間があると
一日が、ちゃんと閉じる。


満たされるとは
満腹になることではありません。

終われることです。

やり切ったからでも
完璧だったからでもない。

これ以上、手を入れなくていい
そう思える瞬間があること。


感覚が日常に降りてくると
生活は派手さを失います。

でも
無理が減る。

説明が減る。

そして
足す理由が、少なくなる。


土鍋は
毎日使います。

特別な日はありません。

でも
毎日、ちゃんと終わる。

満たされるとは
その積み重ねなのかもしれません。

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